某MLへの投稿から 4


XXXXXです。
今回も少し思っていることを書いてみたいと思います。


■お金
お金の不足が人を変えるのは、おそらく事実でしょう。
一方、自分の使いたいだけ使って、あまりあり、
他の人まで気遣うだけの余裕があれば、収入がいくらであっても、
精神的には、金持ちではないかと思っています。

その意味で、お金持ちになるためには、自分の時給、あるいは
不労収入をあげるだけでなく、未来も含めて、お金を使わない
(けれど、豊かになる)見通しをつけることも大切と思ってます。


■平等への幻想
平等でなければならないというのは、一つの哲学です。
自分がなすべきことをするという哲学もあります。

なるべく平等であるように努力することはよいことと思いますが、
本質的に、世界は平等ではないと思うのです。
自分がなすべきことを、それぞれが行えばよいと思いますし、
金銭的に格差がかどうかの単一の価値観で世界を裁くべきでないと
思います。

その例として、お金のいらない国を見てみましょう。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/okanenoiranaikuni.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~nagaryu/

■お金のいらない国
実は、お金のいらない国は、不平等です。働く量も消費する量も
各人均等でなくてよい。そのような不平等さを認めるからこそ、
お金がいらないのだとも思うわけです。

ところで、家族は、「お金のいらない国」といえるのではないでしょうか?

そのような家族の関係は、大家族の精神で、20人〜30人くらいの
コミュニティまでは、広げられるのではという気がします。

コミューンは、長く続いているものは長く続いているように、
規模によっては、「お金のいらない国」の考えは、そんなに無理のないものです。
たとえ、多少のフリーライダーがいても少数であれば問題はないのです。
別に平等である必要はないのですからね。


一方、もののやり取りのみにしか行わない現在の社会にそのまま、この価値観のみを
取り入れれば、あっというまに、社会が壊れてしまいそうです。
対価を意識せず、目的がはっきりしないということは、変革もできないという
ことです。公務員が内側からサービスの向上のための改革を行いずらい理由も
ここにあります。フリーライダーや組織内利益優先の官僚主義の横行をいかに防ぐのか、
つまり、社会構成の多くに対する無責任さ、無関心さという課題が出てきてしまう
のですね。

お金が間に挟まれることで、対価のとれない組織は淘汰され、一つの
秩序になっています。組織や人が対価を意識することは、お金のもつ
悪い部分を補って、あまりあります。

しかし、暮らしには、そもそも、単一目的がなく、むだこそが豊かさなので、
対価は意識しない方がよいのも事実です。
それぞれが、それぞれの価値あると思うことを行い、また、それに対する
ありがとうのひとことが価値を生み出す。利というよりは美の世界ですね。

大きな社会では、人の統制が必要であることをみました。
しかし、人の統制は、お金に頼るしかないのでしょうか?

かならずしも、そうではないと思います。

■より実際の大きなお金のない国
実際には、より大きな世界でお金のいらない国は部分的に実現されています。
たとえば、日本の昔の大会社、より洗練された形で、現在の最先端の会社は
稼ぐだけ稼いで、給料はほぼ同じ、ただの社内サービスが満載という形ですね。

ただし、たとえば、
1.昔の日本の会社は出社時間・退社時間はきちんと定めています。
今のフレックス制度を見ていてもわかることですが、人間、自己を管理する
能力はそれほど高くないのです。
2.Googleでは、グローバルチームを編成しますが、能力だけでなく、それぞれの人の
評判(例:途中で手を抜いた。非協力的など)がシェアされています。
評判が悪くなると、仕事が誰からも来なくなり、いずらくなって、自分から会社を
去っていくそうです。

上記ふたつでは、金銭的対価を報酬に連結させないという意味で、お金のない国を
部分実現しながらも、外部からの管理や、評価の突きつけにより、コントロール
行っていることを見てとれます。


さて、上述の自己管理能力の一般的低さを踏まえつつ、議論を次に進めます。

■過剰消費を防ぎ、かつ人が幸せになるために。
資本主義というのは、物欲を刺激することに皆が、一生懸命に
なっている世界でもあります。
その中には、麻薬のように、明らかに、規制すべきものもありますが、
グレーのものが多いのです。
電車の革つり広告のなんと刺激の多いことでしょう。

消費すれば、経済が発展するの言うのは、実は、乱暴すぎる理論です。
実際は、麻薬と同様、人を疲弊させ、生産性を落とすものも多いと思うのです。

麻薬は法律で禁止していますが、麻薬のようなものをどこまで統制するべきか
は今後の一つの、課題と思います。

人はそんなに強くありません。実際、刺激の少ない国ではより、自分のことを
考えて豊かに生きられます。(インドでの4か月の体験からそう言えます。)
なお、これと物質的に豊かさは別のことです。今、物質的に豊かでない国で
刺激が少ないというだけで豊かな国で刺激が少ない国も全然あっておかしくないです。

私は、自分は望まないのに、お金を使ってしまっていると80%の人が、感じる
ものに関する宣伝行為を規制し、さらに場合によっては、猟銃と同様、免許制に
すれば、過剰消費や物欲が減って、より豊かになれるのではと思っています。
より、はっきりと、言ってしまえば、ゴシップ紙やポルノは、誰も積極的に
買うことを望んでおらず、買わされているだけなのです。
ギャンブルも同様です。

貧乏な社会が資本主義に巻き込まれて、なぜ、貧困な社会になるのか?
麻薬やTVなどで、物欲を激しく刺激されるからですよね。
つまり物欲の刺激こそが元凶と感じるのです。

一方、文明の便利さとゆとり、なにより、知識を得られる自由さは
享受すべきものですよね。