自分に正直に生きるということ

私にはどちらかというと八方美人的なところがあり、友人からも注意されたこと、プライベートでいろいろあったこともあって、誠実に、自分に正直に生きていきたいとつとに考えるようになった。それから、いろいろと周りのことを考え直すと、ゆっくりだが、いろいろなことが見えてくるようになった。

お酒を飲まないことにした事も、いろいろ考えて決断し、守っていることのひとつである。お酒を飲まないということを通じて、自分の考えに気がつき、それを守っていくという営みがもたらした気分の安定についてお話してみたい。


私の家は祖母が酒屋の出身であることもあり、みんなお酒好きである。妹は近所から酒豪伝説が聞こえてくるほうであり、両親ともそれはおいしそうにビールを飲んでいる。私も高校時代からお酒をよく飲んだが、記憶が飛んだこと、吐いたことは一度もない。
数年前、インド人に影響されてあまりお酒を飲まなくなっていたが、最近は、お酒はやめることにしているので完全に飲んでいない。
お酒は不思議なもので飲まない、飲まないと思い、実際に飲まないと本当に弱くなってしまうものだ。今は飲もうと思ってもきちんと飲める自信がない。

そもそも、私はお酒というものがあまり好きではなかった。私は体が弱いのか、お酒を飲むと必ず次の日、ぼーっとして有益な気づきがない意識レベルの低い日となってしまうことが多かったからだ。次の日は、時には、感情のバランスが崩れて精神的に不安定になってしまうときもあった。そんなわけで、私にとってお酒を飲むとは、1日をその時間のために費やすことを意味していた。

それではなぜ飲んでいたのかというと、たぶん以下の理由からである。

  1. ひとつは、なんとなく、みんなが飲んでいたので、自分も飲まなくてはいけない気分にさせられたからである。みんなが自分の殻をはずして楽しんでいるときに自分だけしらふでいるというのは失礼なのではないかと思ったし、特に、年上の役職者の方はお酒を飲まないことは社会人としての礼儀に反するというようなお話を複数の方がされていたというのも心に残っていた。
  2. それから、少年のころ、思っていた、いつかは、親友や親父とお酒を飲み交わしてみたいという夢、自己イメージのせいであったからかもしれない。
  3. また、個人的に、表面上だけのドライな付き合いというのは、好きではなかったし、初めて会った方も含めて、人生で出会う人たちとは親密に何でも語り合って、出会いを大切にしていきたいと思うほうで、そういう意味で、お酒は嫌いでも、お酒を飲んで語り合うというシチュエーションは好きだった。

こんな風にして、私はお酒を飲んでいた。しかし、あるとき、やりたいことがあまりにあり、ポリシーをもってやりたいことを絞らないといけないことに気がついた。そして、何を削るかと思ったときに、私にとってはお酒を飲むことは削るべきことだったのである。飲み会に行ったからといって何もお酒を飲むことはないじゃないかと、考えるようになったのである。

そんな風にして、お酒を飲まないことをはっきり決めたのだが、決めてみると、飲み会などにも逆に気持ちよく参加できるようになった。前は飲み会とお酒を飲むことを一緒に考えていたのだが、飲み会に出席しても嫌いなお酒は飲まなくてよいことに気がついたからだろう。

はっきりとやめることは間違っていないのだと考えてから、やめてみると、バーなども含めて、どんなところでも、お酒を飲まないことはいいことだと好印象をもってくれることが結構多く、お酒を飲まないということで相手の印象を悪くすること、空気を悪くすることはあまりなかった。

そして、意外に私のように、実はお酒嫌いという人も結構多いのかもしれない。少量のお酒は体にいいかもしれないが、一方でお酒は多くの人の人生を浪費している存在だし、お酒は飲まないという考え方、ポリシーがもっと尊重されても決して世の中にとってマイナスではないだろうと考えるようになった。自分自身の考え方に自信を持てるようになってきたので、ますます、安心した気分でいられるようになった。

もちろん、いろいろな人間がいるので、少なくとも心の中では、気分を害しているかもしれないと思う人に会うこともある。心に余裕を持つことができると、「お酒は絶対だめだ」「お酒に少しでも近づくとなしくづしになる」というようなアレルギーの負の感情も消えて、乾杯のときはとりあえず一杯頼んで、唇で舐めてから他のものを頼むというような上手なお酒の断り方もできるようになった。また、自分の中で、定義を変えて、教養のためにも、自分の知らないお酒を少量味わうことは良しとすることにした。アルコールを楽しむこと、人に好かれたり親密な関係となりたいためにお酒を飲む事をよしとしないというわけである。



私は、このようなお酒に対する態度を通じて、自分自身に正直に生きるために以下のステップを繰り返して、自分自身の行動を変えていくことが、有用ではないかと感じた。

1.自分自身の素直な気持ち、やりたいことに向き合うことで、人からの評価からはなれて、自分自身の持っている考えに気がつく
2.自分自身の考えをよく練り、それが社会にとって有用な考え方か、正しい考え方かどうか、考える
3.はっきりと決意し、決意に沿って行動するイメージを練る。そして行動する。


人の考えは、自分ではコントロールできない。しかし自分の考え方は自分自身でコントロールできる。自分自身の正しい考え方に沿って行動することで自分自身の行動に一貫性がうまれるし、自分自身の正直に、生きたいように生きていけるのではないかと思う。表面的なあれをやりたい、これをやりたいというのもあるが、もっと内面的なレベルで自分自身にとって生きたい人生をおくれるようになっていけたらと思っている。
社会で好まれること、行われていることと社会で有用なことは違う。社会で何か有用か、人間には判断するのが難しいのだが、ここにこそ、個人が個人としてより幸せになっていける隙間があるとも思う。