人生でもっとも大きな無駄について考える

toyah2006-07-31


よりよい人生を送るためにはどうしたらいいのか。このサイトではGTDなどを扱いながら、この課題に対して取り組んできた。今日は、自分自身のコントロールできる範囲で、一番無駄にしてしまっている時間ー時間泥棒ーは何だろうか?という問いについて考えてみたい。

私の答えは「逃避している時間」というものである。つまり鍵は優先順位管理などというお話以前のところにあるのではないかと思うのである。


せっかく、時間ができても、なぜか無駄にしてしまっている。

もうすぐ夏休みである。さて、まとまった休みができた時に、有意義に休みを使えているだろうか?
私自身も多々あるが、周りの人に聞いてみても、どうも、たいてい有意義に使われていないようなのである。
答えとしてあがるのは、「だらだら過ごしてしまった/何もしなかった」ということである。もう少し踏み込んでみたい。
だらだら過ごすとは何だろうか? 聞いてみるとたいて以下のようなことを言っていることがわかった。

  • テレビをだらだら見る
  • 競馬やパチンコ、ギャンブルを行う
  • 一人でお酒を飲む
  • 何でもいいから、人と会ったりするや飲み会を入れてしまう
  • ウィンドウショッピングを行う
  • インターネットブラウジングを行う
  • 雑誌や新聞をいつもより多く読む
  • 生理的な要求を満たす行動を行う
  • テレビゲームを行う
  • 漫画を読む
  • 電話やチャット、掲示板書き込みをする

嗜好性のつよいものになぜか引き寄せられてしまっている。

つまり、たとえ(さまざまな努力の結果)せっかく自由になる時間ができても、なにかを嗜好性のつよいものを無目的に行ってしまっているということがわかった。なぜ、そのようになってしまうのだろうか

小さな原因としては、個人個人で異なる固有の行動に対して、習慣化、中毒化がおきてしまっていることが考えられる。しかし、おそらく、これは、表面的な問題にすぎないだろう。

多くの人は、子供のころから、「だらだらする」習慣がある。しかしその内容は異なってきているはずである。
たとえば、子供のころはテレビゲームだったのが、大人になってからはお酒やギャンブルになっているかもしれない。このように、表面的な現象は変わっても、けっきょく「だらだらする」行動を取り続けているのであれば、お酒やギャンブルなどの表面的な事象にだけアプローチをかけても、根源的な問題の解決には至らないのではないだろうか?


根本的な原因をかんがえてみる

嗜好性の強いものにひきつけられてしまう、根本的な原因について考えてみたい。人は暇になるとまず何をやろうかなと考える。もし、会社では、優先順位に基づいて、仕事ができているのに、プライベートではできないということであれば、会社の仕事という範囲では優先順位付けに取り組むことができるのに、自分の人生まで範囲を広げると優先順位付けに取り組めないということをさす。
このことは何を意味するのだろうか? 私はこれは自分の人生全体に向き合うことが難しいということをさしていると思う。つまり自分の人生全体に向き合うことができないから、優先順位付けにとりくめず、一足飛びに、「暇な時間」を意識せずに住む嗜好性の強いのものに飛びついてしまうのである。


どんなときも、人生に向き合えるように行動を気をつけていくことが一番大切
せっかく自由な時間ができても、人は逃避しがちであり、その根本にあるのは、自分の人生全体に向き合うことが困難であるからであるということがわかった。
よく考えてみれば、たしかにこれは難しい。何かひとつでも自分の人生全体でうまく行っていないもの、直視できないものがあれば、自分の人生全体を考えることが難しくなってしまう。根源的な解決策はないのであるが、自分自身で考えられる対策を考えて行動していくことであると思う。私が、時間を無駄にしないために、今一番気をつけていることである。
私の思っていることは、この後に書いてあるのLifeHacksのコラム「生活上の一番大きな無駄を減らす方法」にメモしておいた。


本当に何もしないで見る

本当に何もしないで「今」を感じること。これはヨガ、瞑想、座禅などの心であり、行うことは難しいが、とても気持ちがよくリッチな時間ではないかと思う。ガンジーをはじめとする多くの忙しい人間がこのような本当に「何もしない」時間というのを日常の中に取り入れて大切にしていたことは有名である。



誰でも今すぐ人生を有意義に送れる

輝いている人とそうでない人を比べたとき、どこに差があるかといえば、私は「逃避している時間」の差ではないかと最近思っている。
頭の回転の早い人、ポテンシャルの高い人、自己管理のしっかりしている人は意外とどこにでもいるものだ。よりよい人生を送れるか送れないかというのは、ちょっとした意識の差なのだと思う。