自分自身を広げていく

自分は自分の思ったとおりの人間になるという言葉があるが、ある程度、これは真実だとおもう。
つまり、自己イメージが変われば人間は変わっていくということだ。


人間が味わう最も大きな苦痛は変化に対する苦痛だという言葉がある。しかしながら、成長や愛などを考えればわかるように、変化は時に喜びでもあると思う。
まず、愛であるが、私は、愛というのは自分自身を広げていくという営みであると考えている。
真に相手の立場に立って相手に共感し、相手の痛みや喜びを受け止めるためには相手の価値観、見方をある程度受け入れなければならず、それは自分自身を変え広げていくいとなみに他ならない
このように、本当に人を愛するということ、愛し続けるということには、常に自分自身が変わりつづけてことが要求される。しかし、本当に人を愛し、愛されるところに人間の喜びが存在すると思う。
つぎに成長であるが、人間が成長するためには、人間として変わっていくことが要求されるのはいうまでもない。
自己イメージの壁を一つ一つ打ち破り、自分自身を広げていくこと、そういうところに人間の喜びのひとつがあるかもしれない。


自分は昔、学者になりたいと思っていた。大好きな父が研究部門で働いていた事もあって自然にそう思うようになったのだと思う
幼少期のそのような思いは、よい結果ももたらしたと思うが、自分自身は学者向きだという自己イメージによって自分にとって手付かずになってしまう点も多々あったのではないかと思う。
1. 説得力
2. オペレーション能力


1.説得力
学者というと、意味のわからない難解な言葉をしゃべるというイメージがあり、実際そういう人も多かった。(そうでない人も多かったが)
この前、ひさびさに、それを思い出す機会があった。ある講演で学者が講演したのだが、とても面白くすごかったのだが、意味が半分くらいしかわからなかったのである。意識してなぜ意味がわからないのか考えていたのだが、複雑系や細胞の代謝モデルからの類推が
昔は、すごい話を聞くと、これはすごい。これを理解できない自分がいけないのだから何とか理解してやろう。自分もいつかそういう話ができるようになろうと思ったなあと思い出した。哲学書数学書の難しいものを読んだときもそういう風に思っていたことを思い出す。思えばこうやって、難しい表現を簡単に話すことへのトレーニングを怠ってしまったのかもしれない


2.オペレーション能力
うずたかく詰まれた書類やメモの山、蔵書の山、夢中になってしまうと次の予定も忘れてしまうというのがステレオタイプの学者イメージだった。実際にそのようなタイプの学者にも、あったことがある。ニュートンアインシュタインだったかもしれないが)は、日常のつらいこと、わずらわしいことから逃れる手段として、研究に没頭していたというようなことを書いている。
無論このような姿勢から集中力が生まれてくることは本当かもしれないが、このような姿勢でできることは非常に限られている。チームとしてうまく活動することが難しくなることはむろんのことだが、個人として仕事を行っていく際にも、体調、その他の管理がおろそかになれば長続きはしない。そしてなにより、個人として幸せになれない。


実際は、説得力やオペレーション能力と創造性/集中力はまったく、相反するものではないどころか、むしろ、互いに相乗効果をもたらすものであると思う。

自己イメージの壁を一つ一つ打ち破り、自分自身を広げていけるような人間になりたいと思う。