某MLへの連続投稿から1

こんにちは。

今年の夏は、伊豆大島に自動車免許の取得に行っておりました。
名前も出てきたことですし(笑)、久々に投稿させていただきたいと思います。

マズローに関連する議論、興味深く、拝見しておりました。
長文となってしまいますが、3点思ったことを、書かせていただきたいと思います。



■人間的成熟の追求を根本に据えてみる

マズローの話は、面白いのですが、これ以上議論を進めるには、
人は欲を追求する生き物であるという前提を外して、視点を広げてみるのも
よいのではないかと思いました。

そこで、一例として人間は、人間的成熟を追求する生き物であるという説を
展開してみたいと思います。

* * *
私は、以下の2点から、人間は、人間的成熟を追求する生き物であると思います。

(1)歴史的見地
第一に、歴史的にみて、どのような宗教においても、人の目的として
人間的に成熟していくことを人生の目的に据えています。
イスラム教、ユダヤ教キリスト教は人と神、人と人との正しい関係性を
追及しています。ヒンディー教、仏教は、人が涅槃にいたる道を追求しています。

このように歴史的には、人は人間的に成熟することを追及して、人生を生きてきたのであり、
欲を追求する生き物であるということを、(少数意見ではなく)当たり前のようにとらえるように
なったのは、近代になってからのことではないでしょうか?


(2)愛情の見地
第二に、人は愛する人に対して、欲を満たすことではなく、人間的な成熟を望んでいます。

あなたはパートナーや子供など最愛の人間が欲を満たすことを望んで、そばにいるでしょうか?
そうではなく、その人の精神的、人間的な成熟を願いながらそばにいるのではないでしょうか?

自分が愛する人に望むこと、それは、多くの人間が多くの人間に望むこと、そして、自分自身にも
自分自身を愛してくれる人から望み願われていることでもあるのです。


このように、人間的成熟という考え方を根本に置くことで、無私の追求というような
考え方も、おかしな議論抜きで、しっくりと議論の俎上にあげることができます。


■牧口の創価教育論を再評価してみる。

では、人間的な成熟と欲はどのように結び付くのか、考えて直してみたいと思います。

牧口といえば、創価学会創立者として、知られますが、それゆえに、試みられることも
少ないと思いますが、なかなか面白い考察を行っています。

牧口は、従来の3価値である真善美の中で、真理と善、美は次元の違うものだとします。
なぜなら、善や美は人と人、人と社会の関係性の中で、初めて、その価値を計れるもの
だからです。(科学哲学的な見解からは、真理も相対的なものだとの主張があるでしょうが、
やはり、人と世界・パラダイムとの関係性という面が強く、人と社会との関係性は
ずっと弱いと思います。)
牧口は、このように考えた上で、善と美に、どうように、人と人、人と社会との関係性の中に成り立つ
価値である利を加え、利、善、美の3価値の創造こそが、人間の幸福(=欲望の充足)であるとしています。

また、その人の所属する社会において、利、善、美の3価値を創造できる教育が教育のあるべき姿で
あるとし、創価教育論という体系を立ち上げようと試みました。

これは、私にとっては、非常に、納得のいく考え方です。皆様どうでしょうか?

利というものに引っ掛かる方もいると思います。しかし、無私の考え方と利は別のものです。
たとえ、無私の心を目指していたとしても、自分にかかわる周囲の方に、利の価値創造を行えること
時として大変重要になってきます。

ちなみに、善は、社会全体にとっての利であるとしています。



■美は生活の中に(続:牧口の創価教育論を再評価してみる。)
利、善、美の三価値の中の美的価値とは何か、牧口は、これは、人の心や体を休めるものとしています。
つまり、だれか偉い人や学者がこれが美しいと決めたものが美ではなく、絶対的なものでもありません。
たとえば、帰ってきたときに、「おかえり」と笑顔であいさつする子供、友人宅で受けたおいしい
お茶のおもてなし、このようなものが美的な価値の創造なのです。

人は、休息が必要な生き物です。機械に油が必要なように、美的な価値は人にも社会にも必要なものでしょう。

私は、今回の議論で、美を皆様が大切にされていることに、とてもうれしくなりました。
私も、大切にしていきたいと思っています。しかし、芸術家が創造し、一方的に提供できるものではなく、
生活の中にこそ、あるのではないかと思います。

このように考えてみると、人を幸せにし、人の人間的な成熟をより進めるためには、
「社会革命」ではなく、「人間革命」が必要なのではないか。このような視点を牧口は持っていたと
思われます。

人間一人ひとりが変わっていくこと、これはどう成し遂げられるのか…、一人ひとりが
本当に大切なものを大切にし、人として、周囲の人とともに、成熟し、暮らしの中で、
利、善、美の3価値を創造していくことにあるのではないかと思います。
まさに、プロではなく、素人の、市民ひとりひとりの力が大切なわけですね。



長文になりました。お読みいただいた方、どうもありがとうございました。
それでは。